70’sバイブレーション
「温故知新」
古いものをたずね求めて新しい事柄を知る。
バブル、80’sと来て、ついに70’sの波がやってきた!
と言う事で、9月13日(日)まで横浜赤レンガ倉庫1号館で行われている
70’sの企画展に行ってきました。4CGです。
会場には、70年代の横浜の風景。
平和球場(現横浜スタジアム)近辺の航空写真です。
家電製品などの生活用品の展示。
科学の進歩を感じさせたポータブルテレビ+ラジオ(笑)
70年代のポスター、レコードジャケット、楽器や雑誌。
まさに昭和の雑誌。
鋤田正義、井出情児などの写真展示。
そして、1979年のYMOワールドツアーに使用された楽器!
モノホンの器材です!
大滝詠一所蔵のアイテムの展示!
正直、65年生まれの私にとって、70年代前半はあまり記憶がない。
記憶全体がカラーになる前、セピア色って感じです。
70年の洋楽ヒット曲はビートルズのレット・イット・ビーだって。
もはや、レジェンドの時代です。
邦楽ヒット曲ではドリフのズンドコ節(笑)
加藤茶も老人になる訳です。
流行言葉は「鼻血ブー」
75年になっても、私は10歳ですから、まだセピア色の記憶です。
洋楽ではABBAがヒット曲を連発し始めます。
フロム オーストラリアからオリビア・ニュートン=ジョンが登場。
邦楽では山口百恵。ダウン・タウン・ブギウギ・バンドも港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカをヒットさせます。
翌年71年にはユーミン(荒井由美)が「あの日にかえりたい」をヒットさせています。
78年にはピンクレディーが登場。
UFO、サウスポー、モンスターとヒット曲連発。
今でも踊れる方も多いのでは。
ちなみに、サザンも「勝手にシンドバット」でデビューしています。
78年は私も中2ですから、いろいろと覚えています。
男なら大抵、矢沢永吉の「成り上がり」で決意して、映画「サタデーナイト・フィーバー」で興奮したはずです。
「サタデーナイト・フィーバー」は無料のチケットをもらって川崎ミスタウンという映画館(今のチネチッタです)で見ましたが、当時の川崎はカタギがゆっくりと歩ける雰囲気ではありませんでした。
商店街の名前も「銀柳会」でしたから。
今では「銀柳街」になりましたけど(笑)
映画を見終わって興奮して、外にでると夜の街の雰囲気が横浜とあまりに違って、震えながら帰った記憶があります。
79年に流行った洋楽はほとんどわかりますね。
もう、洋楽どっぷりでしたから。
一発屋ザ・ナックの「マイ・シャローナ」やバグルスの「ラジオ・スターの悲劇」なんて聞くと涙もんです。
邦楽もザ・ベストテンが人気番組でありましたから、みんな聞いていました。
さだまさし、ジュディ・オング、ゴダイゴ、アリス、そして西城秀樹は前年洋楽ヒットのヴィレッジ・ピープルのY.M.C.AをカバーしてYOUNG MANを大ヒットさせました。ゲイグループのヴィレッジ・ピープルの曲をカバーしたことを中学生ながら笑ったことを思い出します。
今回の企画展に行って、「時代は繋がっている」って当たり前の事を再認識しました。
私にとって70年代はセピア色なんですよね。
それが、80年代になると、一気にカラーです。
大滝詠一、海、山下達郎、海、サザン、海って感じで日々スパークしてました。
居酒屋でのオヤジのごとく「昔はよかった」ネタで、今回のブログすみません。
でも、やはり70、80年代より今のほうが、断然いいと思いますよ。
「温故知新」
正確には、古くよいものをたずね求めて新しい事柄を知る。そして、古くわるいものから学んで、繰り返さない。
では、ないのでしょうか。